志賀城

別名 平手政秀宅 付近住所 愛知県名古屋市北区平手町2 現在 志賀公園
2010/3/27 碑・案内板アリ


平手氏 平手政秀宅跡
 ここ志賀の地を領した平手政秀は、織田信秀の子、信長の補佐役をつとめた。
 信長はかねてから行状が悪く、政秀は日ごろからこれをいさめていたが、父信秀の死後も一向に改まらなかった。天文22年(1553)正月13日、信長の将来を絶望した政秀は、この地で自害した。信長はその死を哀惜し、一寺を建て、政秀寺と号して厚く菩提を弔った。

志賀公園の由来
 この彰徳碑は、享和2年(1802)尾張藩有志により、平手政秀の忠誠を永く伝えんとここに建立され、大正5年には愛知県が平手邸趾であることを証する碑を添えた。
 志賀公園は、西志賀土地区画整理組合がこの彰徳碑周辺区域に公園を計画し、由緒ある地を永く保存し、広く市民の利用に供するため、昭和5年に造成し昭和9年に名古屋市に寄贈したことにはじまる。以後。本市も公園区域の拡張整備を進め現在に至っている。